日本におけるC-POPの歴史
C-POPについて書こう書こうという意気込みはあったんですけど、結局今まで映画やテレビドラマの話題に時間を取られてしまって、ほとんど書けませんでしたぁ~。仕切り直しにあたって、日本におけるC-POPの歴史をちょっと振り返ってみることから始めようかなぁ、と思います。
振り返るって言っても、戦前の李香蘭の時代じゃ行き過ぎですし、テレサ・テンとか欧陽菲菲もちょっと古すぎるので飛ばして、1990年代ぐらいから始めようと思います。実は、この1990年代に、今後の華流C-POPの下地になって行くであろうアジアン・ポップスの一大ムーブメントが日本で起きていました。
①1980年代後半ぐらいに流行したヨーロッパ発のワールドミュージックって覚えてますか?日本でもジプシー・キングスの「ジョビ・ジョバ」などが大ヒットしました。
②1990年1月、この波に乗って、アジアからもシンガポール発のディック・リーがアルバム「マッド・チャイナマン」を引っ下げて日本に上陸し大ヒット、日本でアジアン・ワールドミュージックが一大ムーブメントになりました。
彼はその後フジテレビのポンキッキで音楽を手掛けたり、去年も年末の紅白歌合戦でユーミンとコラボしていたりと、音楽活動を地道に続けていたようです。
③1992年にはフジテレビが「アジアバグース!」という”アジア版スター誕生”の放映を開始。この番組は、マレーシア・シンガポール・インドネシア・日本の共同制作で、2000年9月まで放映され、日本におけるアジア・ムーブメントを後押ししました。
④このアジア・ブームに乗った形で、香港フィルム・ノアール作品、ウォン・カーウァイ監督作品が続々と日本で劇場公開され、映画だけでなく主題曲や香港四天王など音楽面にも注目が集まりました。
「欲望の翼」(1992年3月)
「恋する惑星」(1995年7月)
「天使の涙」(1996年6月)
各メディア(特に女性誌)で香港映画・音楽がオシャレと書き立てられ、都市系の女性たちが踊りました。
⑤これらのムーブメントに乗って、アジアン・ポップスに関する書籍も続々と出版されました。自分の手元には今、以下の三冊が残っています。
『アジアンポップス事典』(1995年3月、TOKYO FM出版)
『激動するアジア音楽市場』(1995年12月、シネマハウス)
『アジオン・ラヴァーズ Ver.1.0』(1996年12月、大村書店)
これらの本の中では、若き日のレスリー・チャン、アンディ・ラウ、アーロン・クオック、金城武が歌手としても紹介されています。中華圏エンタメ業界のタレントは、俳優と歌手の両方をこなすんだ!と感動したものでした。
悲しいかな、こういったアジアン・ポップスを紹介する本は、これ以後パッタリと出版されなくなってしまい、現在ではTOKIMEKIさんの『POP ASIA』が頑張っているぐらいです。
⑥1990年代には台湾の音楽業界に大きな変化がありました。それまで中小のマイナー・レーベルが牛耳っていて産業化されていなかった台湾の音楽業界は、1990年代になると、1981年に発足したばかりの新進気鋭のロック・レコードによって席巻されて行きます。台湾だけでなく香港などその他中華圏にも勢力を拡大して行きました。ただ、日本への進出はそれほど大きな収穫が得られなかったようです。
というのも、1990年代の日本は、90年代前半バブル期のジュリアナ・ブームに乗ったエイベックスが小室哲哉氏と組んでt.r.f.を世に送り出し、90年代後半になるとKARAOKEブームに乗って安室奈美恵に始まる小室ファミリー系J-POPで日本を席巻し、その後も他のレコード会社がJ-POPでCD100万枚以上の記録を続々と打ち立てていたので、C-POPや韓国のK-POPなんて入る余地もなかったわけです~。
⑦1997年7月1日、香港がレッド・チャイナに返還されると、香港のクリエイターが国外に流出したりして、その後は香港ムーブメントは下火になって行きました。
1999年2月、フェイ・ウォンが歌うゲーム・ソフト「ファイナルファンタジー 8」のエンディング・テーマ 「Eyes On Me」のCDがリリースされ、その透き通った歌声がTVCMなどで日本のお茶の間に響き渡りました。しかしその後は、香港発の映画も音楽も基本的にはニッチなものに。
⑧香港返還後、中華圏でサブカルの中心となって行ったのが台湾です。香港・シンガポール・マレーシアなどの中華圏のみならず米国帰国組の才能が台湾に集まって来ました。そして、2000年以降の中華圏の音楽業界では、台湾で成功すれば全中華圏を制する、というような構造が出来上がって行ったようです。ということで、最近のC-POPのヒット曲は台湾発のものが多いようです。
⑨ただ、現在のところ、台湾発C-POPの日本進出は成功していません。
日本の音楽市場は2000年代に入ると、小室ファミリー・ブームも一段落し、代わってモーニング娘をプロデュースしたツンクのツンク・ファミリーのJ-POPが日本の音楽シーンを席巻して行く一方、インターネットなどの影響でCDが売れなくなって音楽業界がバブル崩壊して行き、1990年代の輝きを失っていきます。
が、2005年の後半に入ってi-PODが日本で発売されるや音楽ダウンロード市場が爆発的に広がって再び音楽シーンが賑やかになってきました。
C-POPが日本で日の目を見るかどうかは、この波と、現在日本で進行中の「華流」ムーブメントに乗れるかどうかに寄るのではないでしょうか?
K-POPの方はすでにBoA, パク・ヨンハ、K,SEVEN,東方神起などがどんどん日本に進出して来ています。
⑩日本においては、ソニー・ミュージック・インターナショナルが、ジェイ・チョウやワン・リーホンなどの台湾発C-POPミュージシャンの日本版CD/DVDを発売したり、コンサートを開催するなどのプロモーションを開始しました。今後は、C-POP有力アーティストが多く所属するワーナーなどのレーベルがどう動くかがキーになって来るでしょう。加油~

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